仏像修復 宝冠釈迦如来  本体総高180cm  岡山県井原市稲木町 摩尼山 西光寺      
TEL 08-6662-3707

 2011年9月15日更新
概要

〇造仏年代、鎌倉時代(推定) 材木は杉材

○造仏当初は釈迦如来であった。

○造仏当初の部材、後頭部は羅髪である。

類似の仏像山形県米沢市、曹洞宗昌伝庵 大日堂、 県指定文化財 大日如来があります。
大日堂、大日如来の胸の空きは 西光寺宝冠釈迦如来より多少狭いがその曲線はよく似ている。横から見た体の前後のライン、首付け根から下方向の曲線(胸と背、特に肩胛骨あたりの膨らみ)、首付け根の位置などが似ている。しかし彫りの違いはハッキリしており同じ作者ではない。西光寺、宝冠釈迦如来の特徴は脇下の深い彫り込み、その深さ、後ろの首からお尻にかけての背中の曲面、そして胸(肌)、その胸と深い脇までのつながりのそれらの曲面、特にお尻の下まで続いていくリアルな肉感的表現、それらの表現は、衣の中の「肉体を感じさせたい」といった彫刻家の心を感じる迫力のある像です。

後の修理によって頭部のモミアゲより前方の顔部分、頭部の額より上部の髪と髷、手首から肘にかけての腕など付け替えられていた。体の幅を広げるために両脇に約9センチ幅の桧材が挟み込まれていた。

桧材で作られた他の仏像の顔が転用され、またその頭部が大き過ぎるため頭部の大きさに合わせて幅が約9センチの桧材で両脇に補足、胴体が拡張されている。転用された像の顔は桧の一木造りで耳の後ろでの割り剥ぎ。 シラタ部分が多いため虫菌害が内外とも全面に及び特に鼻から顎にかけは顔の形を成していない。

顔を省く胴体の状態は非常に良く虫菌害は無い。像全体に焼け焦げがあり、元禄11年頃稲倉村大字采山、西光寺の火災が伝えられていることが確認できた。その焼け焦げが虫害を免れた要因だろうか、焼き締まりで材が硬い。

焼け焦げは顔と腕にもある。顔と腕の付け替えは元禄11年の火災以前の修理であったことが分かる。

顔の眉は左右、上下の位置ずれの指摘と思える墨線と唇の形の指導と思える墨線があった(顔の作者以外の指導者の墨書き)。しかしそれら形の修正された様子はない。

肘より手首の腕が付け替えられていた(杉材)、この修理の腕は手首が小さく意図的に手の変形と下への位置変えがあった。踵が削り取られており手は数センチ下がっている。

寛政10年、京仏師 中村新七による修理があった。台座に墨書がある。

○明治時代の修理は解体修理ではなく以前からある塗り箔を残しその上に胡粉下地の上、塗り(カシュウ)に箔押し、であった。


修理方法

○頭部と手は解体修理。

○三道が無く顔が大きすぎるため顔を小さくした。

髷は新しく作り変える。顔の鼻より下から顎は虫菌害が著しく形を成していないためエポキシ樹脂で形成した。目、眉のずれもエポキシ樹脂で修正した

○頭部は耳の後ろで剥ぐ2分割とした。臍をずれ止めとして膠で接着。

○胴体と首の固定としては接着剤や、固定材の使用は無い。

○髷と髪に紗は貼らず補強は漆と錆漆と胡粉下地の3層で仕上げの彩色を行う。

顔の下地は漆と錆漆、紗、胡粉下地の4層に塗り箔そして金泥仕上げ。

○分解した手は桧とエポキシ樹脂で修理。手と腕の接続は臍と膠である。

膠による手と腕の接続カ所は手首と腕の上約15センチの位置と手首(2箇所、両腕、計4箇所)。下地と仕上げは顔と同じ。

○胴体は解体せず隙間はエポキシ樹脂による補強修理。

大きい欠損と大きい割れは桧で補修。

小さい欠損はエポキシ樹脂で補修。

材の補強はアクリル樹脂の注入と散布を行った。

○釘は全て抜き、釘穴の補修は蝶型木製楔(ケヤキ材、千切り)で補強、約35ヶ所、接着剤はエポキシ樹脂を使用。

造仏当初の造りである両脇の彫りの深さの変更を行った。幅を広げられたため脇の彫りの深さに違和感があり約15ミリエポキシ樹脂で底上げを行った。本来すべきではないが仕上がりの良さや形のよさを優先した。

○像木地修理終了後、木地の補強に像全体を生漆を塗る、その後、錆漆で補強、次に紗を全体に漆で貼り付ける、その後、胡粉下地(松煙を混ぜたもの)をこすり付け整える。乾燥後余分な胡粉下地を砥石やサンドペーパーで摺り落とす、錆漆で表面を整え箔下漆による下塗り中塗りを繰り返し行い上塗りをする。そして箔仕上げとする。なお肌部分は金箔の上に金泥仕上げである。金箔は二重押し。(二枚貼る)




修理材料

桧、ケヤキ、エポキシ樹脂、アクリル樹脂、漆、錆漆、紗、胡粉、松煙、木粉、小麦粉、金箔(1号)金泥(1号)



羅漢堂
宝冠釈迦如来が祀られていたがお堂。
享保5年に修理されているが、建築年は不明。
形の美しいお堂である。
お堂の状態が悪く如来は本堂に移された。
修繕が必要。

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修復完了
拡大写真あり


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顔を残し梱包します、そして髪の色の補修と眉毛、髭の墨入れです。


二重の塗箔を剥がしスッキリしました。
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1回目の箔押し。
この後、顔、胸、手は金泥(肌粉)にします。
衣は2度押し。(2重押し)
黒漆は半消し箔下漆(つや消し)




眉毛と髭を入れました。


像の底(下)に張ってあった麻布?紗?
黒色は墨。


楔、約4cm江戸時代

寛政10年の修理時に使用されたと思われ
る玉眼を押さえるために挿んであった和紙。
薬の効能書
胃腸の弱い人がいたということですね、それとも常備薬?




玉眼を押さえるために挿んであった和紙。
文字書の練習?
仏師 中村新七の直筆か?

拡大
河内屋喜兵衛

健脾丸
上田氏求我堂人



額に貼られた和紙(明治時代)

達筆。
私は教養が無いのでなんだか分からない。

修理前、
砥石で削り取ってみた。
2度の塗り箔



樹脂自動注入器、!?。
台座
これだけの材料で蓮台と本体の重量を支えていた。
木材部分(塗箔以外)寛政10年から未修理。
竹釘で固定されていた。
鉄釘の使用がなかったため板の傷みが少なかった。
15ミリ厚の桧の板、丈夫ですね。
骨組を作り、強度を増すことを優先し修複します。
台座の骨組み
6センチ角の青森ヒバ
接続と接着は臍とウレタンボンド。
元の台座の板を周囲に貼り付ける。
骨組の木と板裏はエポキシ樹脂でコーティンングする。
表側は生漆と錆漆の木地補強に胡粉下地、そしてまた錆漆と箔下漆に金箔。


二つ重ねます。

蓮台、制作中

天板は杉。
竹釘で固定
接着剤はウレタンボンド
  

制作、 伊谷


内部はエポキシ樹脂でコーティング。
外部は生漆で木地補強。



棒ヤスリを作りました。

金剛砂と生漆を煉り合わせ接着剤として作りました。
竹に貼ったサンドぺーパーのひとつは使用済みベルトサンダー用、もうひとつは耐水ペーパー、瞬間接着剤で着けました。
使用頻度は非常に少ないです、大半は自作の砥石やクリスタル砥石を使います。
サンドペーパーだけの使用時はペーパーの裏面にガムテープや両面接着テープで薄い布を貼ったりもします



胡粉と松煙を膠で煉る。
煉った下地材を手で擦り付ける。
ヤスリ、砥石、サンドペーパ、など、水を使い表面を整える。
胡粉は粒子の粗い下地胡粉ではなく、粒子の細かい胡粉を使用する。(胡粉の粒子を細かくする方法はポットミルを使用。)




胡粉と松煙を膠で練り合わせた下地材料。
伸ばして折る事を何度も繰り返します。
硬く強い下地を作ります。
鼠色の墨にもなります。


漆刷毛を作りました。
豚毛、腰が強く、厚みのある刷毛になりました。

胡粉下地や錆漆を塗るときにつかいます。
漆の上塗りにも使用できます。


塗りの終了
(半消黒箔下漆)
木地制作と塗り、伊谷



塗りの終了
(半消黒箔下漆)
塗り,伊谷



完成
半消し

金箔押師 前田多希夫 (大阪府八尾)
大阪宗教用具商工協同組合会員



完成
半消し



完成
半消し

宝冠、制作中
厚みが決まれば6分割して文様を作ります






納入品を入れる箱
品の納まりを良くするために制作。伊谷


作 伊谷亜希子 (娘です)

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